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社長のひとりごと

アルカダイアモンド代表取締役「迫恭一郎」の社長のひとりごとブログページです。

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2016年10月

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私は神です [2016年10月15日]

ずいぶんと昔の話です。

 インドの聖者に会いに行った日本人の話です。その聖者は、「神の化身」といわれていました。
そこで、日本人は、その聖者に向かって、「あなたは神ですか?」と質問しました。
すると、聖者は、「そうだ、私は神だ」と答えました。


 続いて、「私は自分が神であることを知っている。あなたは自分が神であることを知らない。
そのことを信じていない。私とあなたの違いは、そこだけだよ」という意味のことを答えたということです。


 以前、『私は神!』という本を読んだことがあります。リズ・ブルボーというカナダ人の女性の自叙伝です。
とんでもない傲慢か、勘違いしている人の書いた本ではないかと思って手にとりました。
すると、著者は、ちゃんとこちらがタイトルに違和感を持って本を手に取ることを見越していました。


「読者の皆様はきっと、『こいつはいったい何様のつもりだろう?』と思われたに違いありません」


「『私は神』という言い方が鼻持ちならないのは、
『自分だけが神で、あなた方は神ではない』という意味が込められた時だけです。
私が『私は神』と言う時、『私は神、そしてあなた方全員も同じく神です』と言おうとしているのです」

 一人ひとりが神であるということは、知識としては、多くの人、とりわけスピリチュアル系の人なら知識としては、知っていることでしょう。

 しかし、知識として知っていることと、それを生きる、つまり「自分は神である」と信じて生きることとは、大きな隔たりがあるでしょう。

 多くの人は、自分は「神の分霊」あるいは「神」であるということは知識で知っています。自分が、この宇宙を創造したことも知識としては知っています。しかし、自分という肉体存在を意識したとたん、自分の想像した宇宙に飲み込まれ、その宇宙の一部分という役割に甘んじてしまうのです。


 そして、いつの間にか、自分の外側に神を求めてしまうのです。自分の外側にいる神もまた、自分が創造したもののはずですが、外側の神を崇め奉ってしまうのです。神社のお社の中には何で鏡がご神体としてお祭りされているのでしょうか。それは、自らが神であることを思い出すためです。


 だから、神社にお参りした際に、お願いをしてはいけない、というのは、自分が自分に対して「~してください」というのは、おかしな話だからです。そうなりたいなら、自分でそうなるようにやればいいだけです。だから決意表明として、「私は○○をやります」と自分に対して誓うことなのです。


 別に運命は神さまが決めたのではありません。少なくとも自分以外のものが勝手に決めて押し付けてきたものではありません。自分の記憶には残っていなくても、自分が決めて、納得して、今生の計画を立てて、親を決めて、生まれてきているのです。


 自分で決めた人生で、自分に悪くなるような計画を立てると思いますか。少なくとも、いかに大変な状況にあっても、そこには何らかの意図があります。人との出会い、与えられた役割、出来事のタイミング、病気や事件やトラブル、すべてに意味があります。


 それらは自分で計画して、それを履行しているだけなのですから。もしも、苦しい状況であれば、それはどんな意味があるのか考えることです。逆に今がとてもいい状態にいる場合、それにはどんな意味があるのかを考えることです。


困難や課題のない人生は、素晴らしいと思いますか?

何の苦労もない人生は望みますか?

全てがスムーズにいく人生は、いいと思いますか?


自分が神であり、この宇宙の創造主であるなら、正の世界も負の世界もすべて引き受けなければなりません。
そして、いつもプラスマイナスゼロの位置にたたずんでいる必要があります。


私たちの経験や知識、思考、感情というものは、常にノイズとなって、私たちをゼロポイントからズレた場所に移行させます。だから、常にゼロポイントに立ち戻るためにアルカダイアモンドがあります。これを持つことで、私たちは、本来の場所に常に立ち返ることができるのです。


私は神です。あなたも神です。みんな神です。

錬金術とは何か [2016年10月10日]

  今日、「錬金術」というと、あまりいいイメージはないようです。脱税事件や詐欺まがいの事件が起こると、たいてい「現代の錬金術」という修飾語が踊り、最小の労力で膨大な利益を生み出すことを言っているようです。これは、かなり歪められたイメージが定着している証左といえるかもしれません。


 あるいは、こんなイメージを思い浮かべられるかもしれません。

 中世の怪しげな装置や薬品に囲まれた中で、年老いた科学者が狂気に取りつかれ、鉄や鉛を怪しげな薬品を調合することで、金に変えようとして、生涯を費やすが、ついに完成しないまま命が尽きるというイメージ。物質を金に変える技術を開発すれば、一生安楽に暮らせるという誰もが夢見る妄想に取りつかれた人とその妄想。それが錬金術のイメージとつながっているような気がします。


 しかし、錬金術は、マッド・サイエンティストの妄想ではありません。

 錬金術とは、明確な知の形態なのです。


 人類が地球上に誕生して以来、問い続けられている問いがあります。

 なぜ、生きるのか?

 なぜ、死ななければならないのか?

 我々は、どこから来て、どこに行こうとしているのか?

 誰もが、人生のどこかで、とらわれる問いです。

 人類もまた、長い年月、その問いを抱えてきました。

 この問いに答えるために、さまざまな学問や宗教が誕生したともいわれています。


 その答えを科学の領域から答えを導きだそうとしたのが、自然科学です。一方、その答えを、信仰の領域から答えようとしたのが、形而上学、哲学・宗教なのです。

 しかし、歴史のはじめ、まだ人類の知性が未分化の時代、自然科学や形而上学として分化する前に登場するのが、錬金術なのです。

いわば、錬金術は、現在の自然科学や宗教・哲学の祖といってもいい、由緒正しき生まれ、人類の知の源ともいえるものなのです。


 錬金術の発祥は明確ではありませんが、錬金術に関する文書は、東西に分かつことなく、文化の発祥した地域で、ほぼ同時に起こったといわれています。つまり、人類は自らのアイデンティティを問うことは、文化の根底においていたのかもしれません。


 錬金術の文書によれば、それを取り扱う人も物質も混ざり気のない純粋であることが求められました。そのために各種装置とそれを表現するための象徴記号が考案されていきました。それまで口伝で伝えられた叡智を記号で表すことにより、後世に伝えられたとされています。つまり、その記号を読み解くことにより、人類の秘められた技法を獲得し、真理に到達すると考えられていました。


 錬金術が形成するためには、四つの条件がそろわなければならないとされています。

「(1)世界の出現。とりわけ生命の出現に際して、なんらかの知性の力が、あるいは意識の力が作用したという確信。

(2)人間の身体には不死の可能性があるという信念。

(3)世界は回避することのできない不可侵の法則に支配されているという考え。

(4)十分に発達した冶金技術の存在」(アンドレーア・アロマティコ『錬金術』創元社)


 エジプト、ギリシア、アラビア、メソポタミア、インド、中国などの文明が発達した地域には、これらの四つの条件は満たしていたといわれています。ここに錬金術の基盤が築かれたとされています。


 私は、現代の錬金術にアプローチしようと考えています。それは、特殊な技法を開発して、ウハウハと大儲けしようというのではありません。私にとっての究極のダイアモンドと言えるアルカダイアモンドこそ、現代の錬金術の結晶といっていいものです。これを売って儲けましょうという話ではありません。私は、どなたの魂の中にもアルカダイアモンドの原石が秘められていると考えています。どうやって、それを引き出し、研磨して、究極のダイアモンドにするか。それは、言い換えれば、この世でいかに真の幸福を実現するか、ということにほかなりません。


 その探求のためにも、アルカディア総合研究所を立ち上げて、日夜、その探求に余念がありません。その研究がまとまりましたら、その都度、皆様に報告させていただきたいと思います。よろしく、ご期待ください。

サイボーグ最後の戦い① [2016年10月06日]

   マンガ少年であった私にとって、石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)といえば、仮面ライダーではなく、サイボーグ009(ゼロゼロナイン)なのです。子供の頃、夢中で読んでいた記憶はありますが、何という雑誌だったのか思い出せません。調べてみると、いろいろな雑誌を渡り歩いて連載しながら、ついに未完だったのです。たしか少年マガジンで完結していた記憶があるのですが、どうも未完であったようです。

 作者は、晩年、病床にあって、未完のまま30年という歳月をへて、どうしても心残りだったのでしょう。死の迫る病室において不思議な体験をします。
 その不思議な体験を語る前に、そもそも「サイボーグ009」のことを良く知らない読者に簡単にご説明しておきましょう。

 地球に危機が迫り、人類は地球を捨てて宇宙に逃れるという選択も必要になったために、宇宙で作業ができるようにと、特殊能力を備えたサイボーグ(改造人間)として世界各地から集められた人間を改造する。ところが、それは人類の未来のためではなく、軍事兵器としての秘密計画が隠されていたため、9人のサイボーグは反乱を起こし、世界平和のために闘うことになる、というストーリー。このサイボーグの生みの親が、アイザック・ギルモア博士。

 抗がん剤で意識も朦朧としている石ノ森章太郎の病床に訪れたのが、このアイザック・ギルモア博士、つまり、作者のもとに作品のキャラクターが訪ねてきた、ということになります。作者は幻覚を見ているかと、しばし疑いを持ちます。地球の未来の危機を回避するために、未来からやってきたというのです。

 実は、未来に世界中の科学者を集めた「サイボーグ・アストロノーツ・プロジェクト」という人類の行く末を賭けた壮大なプロジェクトが立ち上げられた。そこで宇宙探査用サイボーグを開発する計画だが、真相は、宇宙空間での戦闘に使われる成層圏戦争用兵士の開発だった。その計画を阻止するために、マンガによって未来に起こる恐ろしい計画を暴いてほしいというのです。

 9人のサイボーグの中にいる、超能力をもった赤ちゃんサイボーグ001が、テレパシーによって、この計画のアイデアをすでに30数年前に石ノ森章太郎の脳波におくりこんだというのです。

 そして、ギルモア博士が懇願することには、これから人類を襲う最悪の事態に対して、警告してほしいというのです。最後に「ハッピーエンドを考えてくれよ」という言葉を残して未来に帰っていくのです。

 病室のベッドの上で、茫然とする作者でしたが、それから残りの命の灯が消える前に構想を残そうと力を尽くしますが、完結の前に力尽きて、身まかります。

 この構想が『サイボーグ009完結編』として、まずは小説として完成します。作者が病没してから14年後の2012年に小説三部作として、作者の子息の手によって完成します。

 その中で9人のサイボーグ戦士は、最強の敵と戦うことになります。
 最強の敵とは、神。
 完成したサイボーグ009完結編のタイトルは、『サイボーグ009完結編 GOD’SWAR』
神との戦争、ということです。作者が、最強の敵である神は、人類にとって、本当に敵なのか味方なのか、どのように描いたのか、次の機会にお伝えしたいと思います。

人生成功の教え⑦  あらゆる扉を開けるソロモン王のカギ [2016年10月05日]

  「あらゆる扉」とは、心の扉のことです。ソロモン王のカギとは、人の心の扉を開けるカギ、つまりコミュニケーションの要諦について教えてくれているのです。
 太陽の下に新しきことなし、と言われますが、旧約聖書の時代に比べれば、現代では生活様式は大きく変わっていますが、人の心は変わりません。
だから、今でもソロモン王のアドバイスは傾聴に値するものだと思います。

「柔らかな応答は憤りを鎮め、傷つける言葉は怒りをあおる」(箴言15・1)
 怒りの感情に対して怒りで対応しては、火に油を注ぐようなもので、決していい結果をもたらしません。
それは、誰でもわかっていることですが、自分がカッとしてしまったら、そんな当たり前のことが吹っ飛んで、怒りの感情を増長させてしまい、時には取り返しのつかない事態に至るということも、起こりえることです。

 ソロモン王のアドバイスに従い、どのような状況であっても、柔らかな応答を心がけたいものです。
どのような怒りの言葉が飛んできても、同じレベルで言葉を返すのではなく、柔らかい応答を心がけ、ともすれば声音も大きくなりがちですが、むしろ声のトーンを落とし、ゆっくりしたテンポで話すようにすると、相手の怒りの炎も鎮まってくるものです。

 以前、仕事上で、取引先の担当者と感情的になりそうな場面がありました。
かなり大きな声で、感情的な言葉を向けられたことがありました。そのとき、不思議と冷静だった自分を覚えています。私が、この一節を思い出して、柔らかく応答したおかげで、ことなきを得ました。
それからしばらくして、かの担当者の方が、この時のことを思い出して、「迫さんは、どうして、冷静でいられたのですか」と尋ねられたことがあります。私は、正直に、このソロモン王の教えをお伝えしました。その方は感心しておられましたが、その後、『箴言』を読まれたかどうかはわかりません。

「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す」(箴言12・18)
人生のさまざまな場面において、軽率なひと言が、すべてをぶち壊してしまうようなことがあります。
ほんのひと言ながら、無意識につぶやいた言葉が問題なのは、それが本音だからです。本当に思うことを言っていい時と、決して言ってはいけない時があります。それを識別できるのが大人なのです。
しかし、昨今は、かなり名の通った方でも、言ってはいけないひと言を無防備に言ってしまうことがあります。SNSが誰でも利用できる今日、そのような一言がアッというまに情報空間に拡散されてしまい、それが政治生命やタレント生命を奪ってしまうことも稀ではありません。
おそらく、「剣のように刺す」のは、相手に対してではなく、巡りめぐって自分を刺してしまう剣に変じてしまうという意味も隠されているような気がします。

「死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう」(箴言18・21)
老婆心ながら申し上げると、賢明な読者はすでにお判りのことと思いますが、「舌の力」とは、言葉の力、すなわちコミュニケーション力のことです。
テレビの食レポのように、食べ物をおいしそうに食べて、それを伝える力ではありませんので、念のためにもうし上げておきます。

 「死も生も」つまり人生全般は、言葉の力、コミュニケーション力によって大きく左右されるということです。ひと言が人を天国にも地獄にも導く場面があります。では、言葉の力によって、大いなる実りを収穫するためには、日頃からどのような心構えでる必要があるのでしょうか。

 私がひとつ明確に申し上げることができるのは、常日頃から良い言葉に接していることだと思います。端的に言えば、読書を欠かさないということです。

 人類の抱えるすべての悩みごとの解決法は、世界に数多ある書物のどこかに書いてある、と以前聞いたことがあります。なるほど、人類の叡智の結集が書物という形で、とても安価に提供されています。私も日頃から電子書店で好きな本を購入しています。とても便利な世の中です。
ただし、膨大な情報量、国内だけでも7万点という膨大な出版点数の中から、智恵の実を拾うのは容易なことではありません。日頃からアンテナを張って、ピンときたら手元に置いておくようにしないと、なかなか舌の力を鍛える言葉に出会えることは難しくなるでしょう。
逆に良い言葉を伝えている書物を手にすると、次々と良い言葉に案内してくれる気もします。

 読書の秋といわれる季節になりました。ぜひとも「舌の力」を鍛えるために良い言葉を見つけに参りませんか?

最後だとわかっていたなら [2016年10月02日]

   前回、井上裕之先生の『自分で奇跡を起こす方法』を紹介した際に、あとがきで井上先生が「心の震えた詩」として紹介されている、ノーマ・コーネット・マレックさんの『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)という詩を紹介するつもりでいました。

 ところが井上先生の本を紹介する文が長くなってしまった関係で、詩の方を紹介できずにいて、アップした後に気づきました。

 井上先生は、奥様が生と死の境をさまよっているときに、この詩を読まれて、心が震えたとおっしゃられたのです。

 私が下手な文章で紹介するよりも、詩の全文(井上先生の本には一部が紹介されていました)を引用させていただきます。別に愛する人が大変な事態に遭遇していなくとも、心に刻んでおくべき詩であるといえます。

最後だとわかっていたなら

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたなら

わたしは
もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたが
ドアを出ていくのを見るのが
最後だとわかっていたなら

わたしは あなたを抱きしめて
         キスをして
 そしてまたもう一度呼び寄せて
       抱きしめただろう

あなたが
喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
わかってくれていたかもしれないけど

最後だとわかっていたら
一言だけでいい…
「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつもの明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、

わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか
伝えたい

そしてわたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 老いた人にも
明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするために
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していること
いつでも いつまでも
大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう

そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

*            *

 誰の心の中にもあって、それをうまく言えないでいる思いを詩にした、素敵なポエムです。

 今日を後悔しないために。